いろんなものの見方
もうすぐ春やと思ってたのに雪が降った。ヽ(´ー`)ノ雪はいいなぁ。
春といえばお花見やけど、お花見の場所取りするときは「○○組」と書いとけばいいとラジオで言ってた。〆(._.)メモメモ
「ずっこけ三人組」とか「山口組」じゃあかんやろうけど、自分の名前でもつけといたらいいんかな。自分の名前やったら嘘はついてないから、人を騙してる気はしないなぁ。(・_・?)
↓くだらないいろんなものの見方の話
前に新聞の正論というコーナーで「子どもの学力低下と言ってるけど、大人も学力がない」というのがあって、そこで、「アナウンサーが雪原をゆきはらと読んでた。しかも周りの人はだれも間違ってると指摘しない。みんな何を勉強してきたのか。」
と書いてたことがあった。
そしたら今日、
「前にそう書いたけど、雪原にはセツゲンとゆきはら両方の読み方があると分かった。読み方は私にはどっちでもいい。音訓は面倒なもんだ。それにしても、合併自治体名は素直な読み方がいい。」
みたいなことを書いてた。
一番言いたかったことは、「学力低下は子どもだけじゃなくて大人もだ」ってことやったから、セツゲンでもゆきはらでもどっちでもいいんやろう。
それにしても、漢字の読み方の間違いなんてダメ!と言ってた自分が読み方で間違ったんやから、面白いと言えば面白いし、きっとえらい恥ずかったやろうなぁ。
(´д`)人間やから間違うのはしょうがないな
この話はちょっと置いといて、、、昨日の新聞に阿久悠の面白い話があった。
「オーストラリア土産の、南が上の地図を持ってるけど、この地図を見たら、日本がどこにあるか迷ってしまうし、日本の形ってこんなのだったかな?と思ってしまう。知識ってものは物事のほんの一面にすぎない、ということをこの地図を見て思い出す。」
みたいなことを書いてた。
ほんまに、「ものにはいろんな見方がある」って、何回も聞くし何回も思い出すし何回も考える言葉やけど、何回聞いても忘れてしまうなぁ。
日本の形を覚えてるとか、世界地図のどこに日本があるかを覚えてる、みたいに、いろんなことをたくさん覚えてることは学力の一つやろう。
それで、その覚えてることについて別の見方をすることも、別の見方ができると知ってることも学力の一つやろうなぁ。
雪原をゆきはらと聞いたときに、それは自分の覚えてるセツゲンとは違う、と気づくのは大事なことの一つで、学力の一つやけど、別の読み方があるかもしれないと考えることも大事なことの一つで、学力の一つやろうなぁ。
この前、亀田のじゃない柿の種もどきを食べた。それで、今日亀田の柿の種を食べた。そしたら、やっぱり本物はプリッとしてておいしいなぁ、と思った。
柿の種ってものを亀田のものだけとたった一つの見方で見ないで、ダイエーのとか生活良好のとかいろんな見方で見てもいいやろう、とは思うけど、やっぱり本物は亀田と知ってる事は大事やな。
(・_・ゞ-☆関係あるかな