たましいはドーナツ
「死は悲しいか?」という話が面白かった。
タテマエとしてでも「死は悲しい」としておく事が大切なんじゃないかなぁ、と書いてた。
人は死んだら、死んだ本人の意思がなくなる。
けど、まわりの人の思い出には残って、それが「たましい」やろう。
死んでなくても、例えば、意識がなくて延命治療を受けてる人がいたら、
その人の意思はなくても、そのまわりの人の意思がある。
それは、「たましい」と同じようなもんやろう。
(意思がないと思い込んでるだけで、ほんとはあるかもしれないけどなぁ。)
今日新聞で読んだけど、7割の人は、自分は長いこと延命治療を受けたくないらしい。
けど、自分の家族とか、自分以外の人の延命治療をやめる、とはなかなか言いにくいようや。
そんなような事からなんとなく、「たましい」がドーナツみたいになってるような感じがした。
だからなんやというと、別になんにもないけど。(・_・ゞ-☆

そういえば、後悔も「たましい」と同じようなもんかなぁ。と思う。
後悔する気持ちはたくさんあっても、やってしまった事そのものはもうなくて、
ドーナツみたいなもんやと思う。
後悔ってドーナツかぁ、と思うと、、、後悔はドーナツやなと思う。(・_・)?そのままかぁ