年寄りの居場所がない?という話
年寄りに、「老いることをポジティブに考えてるかどうか」っていうアンケートを、大阪とカナダのバンクーバーでとったら、ポジティブに考えてる人の割合は、大阪で35%、バンクーバーで66%やったらしい。
日本人はどっちかというと、例えばお金稼がないし元気なくなるし、年とったら良くないと思いがちやけど、カナダ人はどっちかと言うと、老人は経験豊富で人間がまるいから人付き合いが楽しいし自由な時間も多いから、老いるのは良いこと、と考えるらしい。というようなことが新聞に載ってたような気がする。(あんまりちゃんと読んでないから分からんけど)
高齢化の問題って、お金の問題とか介護の問題とかあるけど、それよりも年寄りが金も労働力も食う社会の邪魔者扱いにされて、居場所がないことが一番の問題かもしれないなぁ。
頼られると居場所ができるという話
そういえば面白い話を思い出した。
病院で寝たきりで寝てるか起きてるか分からん老人がいた。それで、あるサボりの看護士が、この老人やったら何も言わないやろうということで、その老人の上に乗っかって毎日昼寝してた。その老人は看護士が昼寝してるときはいつも起きてて、廊下を他の看護士が通ると、老人がガサガサ動いて看護士を起こして、他の看護士に昼寝がばれなかった。って話やったような気がする。(あんまり覚えてないから分からんけど)
寝たきりで意識があるかないか分からんような老人も、人に頼られたら意識がハッキリする、ってことのようやなぁ。頼られるっていうのは一つの居場所かなぁ。
人を大切にする心が大事、というよくあるつまらない話
あと、テレビ見てたら、フィンランドの子どもは学力で世界一なのはなんでかを筑紫哲也が見てくるとか言うのをやってて、大事なのは人を大切にする心で、落ちこぼれを作らないとか、夏休みはおじいちゃんおばあちゃんと遊んだとか、そういうことを言ってたような気がする。(あんまり見てないから分からんけど)
学力低下やから、授業時間を増やすとか中高一貫やら、なんやかんや言っても、結局根本は人を大切にする心というか感覚を持ってるかどうかが大事なんかなぁ。
年寄りからいろんな経験を教えてもらったりして、年寄りを頼るのも、人を大切にする心やろうなぁ。
裁判員制度の話
全然関係ないけど、裁判員制度のニュースを見た。裁判員の席を用意して裁判の練習をしてるようや。それで、一般市民も裁判に参加できる、とキャスターが嬉しそうに?言ってた。
一般市民の意見を裁判に取り入れるのが裁判員制度の目的らしい。今まで裁判は分かり難い言葉をずらずら並べて、時間もかかったから、そういうのをなくしたい。でも、裁判官や弁護士や検察官が努力してなくそうとしても、それができないらしいから、一般人を入れよう、という事のようや。
俺が裁判員に選ばれたら居眠りするかもしれへん。(´д`) 興味のない話を聞いてると必ず眠くなるんやからなぁ。
「一般人」と言うけど、世の中にはいろんな人がいる。例えば、授業中に、真剣に話を聞いてる人もいれば、寝てる人もいる。裁判員制度を導入しようと決めたような人たちは、真面目に勉強する派やろうから、裁判員が居眠りするはずがないと思い込んでるかもしれないな。