生の実感
恐怖に追われてるときとか、希望や目標があるときは、生の実感が大きいようや。

電流が流れると、例えば電球が光ったりして電子があることが分かるのと同じようなもんかなぁ。(・_・?)
でも、電流が流れてなくて電球が光ってなくても、電子はあるなぁ。
↓くだらん話
インチキな宗教とかは、なんともない人にわざわざ恐怖を与えて、でもこうすれば大丈夫ですよ、と言う。それで、たいていたくさんお金を取る。 (細木数子も、「あんたこのままじゃ地獄に落ちるわよ、でも私の言うとおりにすれば大丈夫」と言ってるなぁ。)
インチキでひどい!と言えばその通りやけど、でも、ちゃんと生の実感を与えてる、宗教としてちゃんとやってる、と言えなくもない。(・_・?)のかな?
ところでこのごろテレビとかで、日本語はちゃんとしてるか?教養や常識はちゃんとあるか?というのが流行ってる。ような気がする。 あと、身体は健康か?太りすぎてないか?と言うのは前から流行ってる。
あなたはゆとり教育のせいで教養が足りないんじゃないか、あなたには日本人としての常識がないんじゃないか、乱れた日本語は使っていないか、あなたは便利な生活に慣れて脳の力が劣ってるんじゃないか、あなたは不摂生で身体が悪いんじゃないか、太ってるんじゃないか。 でもこうすれば大丈夫ですよ、これでチェックできますよ。
みたいに、恐怖を与えられて、でもこうすれば大丈夫、みたいなのがこのごろ流行ってる気がする。(恐怖を与えずに、こういうの面白いですよ、こういうの良いですよ、みたいなのじゃなくて。)
生の実感が足りてないからそういうのが流行ってるのか、そうでもないのか、どうなんやろう。(・_・?)おおげさやな