大事な部分はただの穴?
今日は「競争ではなくて ~子どもをめぐる対話 霊長類学者と教育評論家~」という番組を見た。
「子どもは大人になるために生きているのではない」
ってテレビ欄に書いてて(*’▽’*)わぁ♪と思ったわ。
それで、見て面白かった。
ヽ( ´¬`)ノ ワ~イ !!小学生の日記みたい
前から俺は(授業受けるのはあんまり好きじゃないくせに)教育の話が好き。
大人から見たら、子どもって一人一人が好き勝手動いて、ゴチャゴチャしてるように見える。
好きなことするのが子ども、嫌な事もやるのが大人、みたいなことはよく言うしなぁ。
それで、教育の話って、大人はそういう子どもをどう見るか?どう捉えるか?ってことを考える。
それだけでもすごい面白いんやけど、さらに、
ゴチャゴチャした世界がどう進めばいいか、とか、一人一人がそういう世界をどう捉えるか?
とか、そんな世界の話にも繋がってるんちゃうかと思う。それを考えるのがまた面白い。
とおーくから離れて見たら全体が見えるけど、ものすごい近づいて見ても全体が見えるんかな。
頭から足まで、身体全体を見たいっていうのもあるんやけど、首筋フェチとか足フェチとか腕フェチとか言うけど、そういう一部から、その人全体を感じ取る、みたいなのもまたいいなぁ。
ところでこの番組のタイトルに「対話」とあるけど、対話っていいなぁ。
番組中では「そうそう」とか「うんうん」という言葉が多かった。
二人の考えが似たような考えやから、そういうふうに同意できる、っていうのもあるかもしれないけど、
考えが違ってたとしても「ええ、ええ」と落ち着いて聞ける人が好きや。
落ち着いて聞ける人って、違う考えとかを聞いても、自分をしっかり持ってるから、そう揺らぎはしないんやろうなぁ。
揺らぐどころか、どんどん取り入れて、さらにしっかりさせよう、ということやろう。
俺みたいな未熟者は、産経新聞なんかを読むとカッとなって、じっくり読むことよりも、否定するような理屈を考えるのをがんばってしまうんや。
新聞に書いてることは、ほんの一部で、それはそれとして取り入れればいいのになぁ。
それにしても、この日記はある意味「自分との対話」なんやけど、言い換えれば「ひとりごと」や。
俺って暗いなぁ。今さら気づくことでもないか。
最後に、、
番組中に、子どもが何かで感動とかして、それの感想文を書くってなったら、その一番大事な感動の部分は言葉にはできなくて、その周辺のことをいろいろ書く、って言ってた。
俺のこの日記も、全くその通りやなぁ。
一番大事なところは、「おもしろかった」としか書いてなくて、その周辺をああだこうだ書いてるんや。
実は大事な部分は、ただの穴なんやな。その周りにビラビラしたものとかがついてる、ということや。けど、そのビラビラも大事なんかもしれない。
下品や。(・_・ゞ-☆俺を教育したのはだれや!教育が悪い!