毒と救いで薬 どうでもいい話
前に、毒は吐く量によって薬にもなるし、毒が自分にまわってしまう事もある、って思った。
それでさらに、毒の量が多くても少なくても、救いがあれば薬になるんかなぁと、吾輩は猫であるとその解説を読んで思った。
救うのが薬で、救わなかったら毒って、考えてみたら当たり前か。(・_・?)
↓もっとどうでもいい話
前は日記にニュースとかについてよく書いてたけど、毒が自分にまわるだけで、自己満足にならないことが多くて、あんまり書かなくなった。けど、救いがあれば自己満足になれるんやなぁ。
でも毒の取り扱いは難しいんやろうなぁ。
今日の産経のコラムに「多くの文化人や評論家は、複眼思考も平衡感覚もない反米論で世間に迎合する。」と書いてた。今日だけじゃなくて、自分たちの考えに合わない考えに対してよく「バランスが悪い」と書いてる。
そういう産経には、例えば今日の社説にも書いてたけど「とにかくアメリカにくっついていくことが大事」という考えしかない。
「文化人はシーソーの左だけに乗っかってるぞ」、と、シーソーの右だけに乗っかりながら言ってるのがそのコラムなんや。
シーソーは両方に乗ってギッコンバッタンやるもんや。だからパンツもチラリと見えるんやなぁ。
けど、左にだけ乗ってる人と、右にだけ乗ってる人で、ギッコンバッタンできるからそれはそれでバランスとれてるんやろう。
俺はシーソーよりもすべり台の方が好きや。すべり台の方がパンツがよく見える。
( ̄ヘ ̄)ウーン あんまり薬じゃないなぁ。
(´д`)それに、シーソーやすべり台で、ってところがなんか変態やな。