無駄を信じる、神を信じる、数字は信じる

俺は「無駄なことをするのが、ゆとりある生活」と勝手に思い込んでる。(・_・ゞ-☆
あんまり関係ないけど、
ロボットを人間らしく見せるには、無駄な動きをさせるといいらしい。
人間は、無駄なことをするから、人間なんかもしれない。(・_・)?
今日はジョギングをした。
ジョギングで飛行機を見に行くときに、無駄に遠回りするのが、ゆとりってもんやなぁ、と思って遠回りした。
けど、遠回りして走る距離を長くすると体力がつく。だから遠回りにも意味がある。
と考えたら、遠回りも無駄とは言えなさそうや。
これでは俺の考える、ゆとりある生活にならないなぁ。(゜-゜;)ウーン

新聞に、最近話題のアーサーSデモス財団の広告があって、
「神を信じたら大きな安心感で満たされた」 みたいなことが書いてあった。
それはどうでもよくて、その宣伝のページをめくると、
「神の存在証明は不可能」 みたいなサブタイトルがついた塩野七生の話があった。
そこに、
「プロテスタントの考えでは、神と人間が直接つながってるけど、それだと、
人間は自分が神から聞きたいと思ってる事を、神が言ったように思い込むんじゃないか、
プロテスタントの考えには危険な部分がある」
みたいなことが書いてあって、なるほどなぁと思った。…ψ(。。)メモメモ…

コンピューターで計算すると、正しいような気がする、ということはよくある。
前に、1時間ぐらいかかる作業を5秒ぐらいでできるように自動化したことがあった。
そのときに、コンピューターの計算にまかせると(俺のプログラムがしょぼいというのもあって)、結果を間違うから、自分の目で確かめながら計算するようにした。
消費期限という数字だけ見ると、絶対的に正しいもののように思うこともあるようや。
でも、消費期限に頼ると、食べられるものまで捨ててしまう。
だから、期限を1日すぎたぐらいなら、自分の目や鼻や口で確かめて食べる。
別に不二家は悪くないと言ってるわけでも、悪いと言ってるわけでもないけど。(・_・ゞ-☆