物と事と心
とがった金属片がくっついてるガードレールが全国に約六千もあるんやって。
なんでこんなのが突然見つかったんやろうなぁ。(・_・?)
↓でたらめ
俺が裏ルートから入手した極秘情報によると、、、この前、幼稚園児が青信号の横断歩道を渡ってる時に、車とガードレールの間から飛び出してきたバイクにひかれて死んだって事故があった。
その園児の霊が、ガードレールと車の間をすり抜けるバイクにものすごい怨みを持ってて、その怨みが金属片になって現れたらしい。すりぬけバイクの運転手の足を金属片で傷つけてやろう、ってことやなぁ。
だから、金属片をいくらとっても、また金属片が出てくるやろう。金属片を取り除くより、園児の怨みを取り除かないとあかん。
((´д`)) ぶるぶる・・・怖いなぁ。
ところで、福知山線の事故のせいで、近所の花火も、伊丹の花火も、今年はなくなった。(´д`)
花火をなくすという態度で弔いの気持ちを示すらしい。それはそれでいいけど、弔う気持ちが大事なんやったら、「慰霊の花火」ということにしてやってもいいのになぁ。
ものは言いようやなぁ。(・_・ゞ-☆
そういえば、近所の花火と伊丹の花火は、4年前の付属池田小の事件があった年もなくなったんやけど、その次の年には慰霊の花火というのがあった。そういうのを今年やっても良さそうやけどなぁ。( ̄ヘ ̄)ウーン もう決まったからどうにもならないし、俺が花火見たいだけかなぁ。
↓くだらんへりくつ どうでもいい
バイクへの怨み(心)と、金属片(物)は、別のものやと普通思うけど、死者を弔う気持ち(心)と、花火をする(事)も別やと思う人は少ない?ようや。少なくはないか。(・_・ゞ-☆
例えば、人が死んだら葬式をする。弔ってる(心)から葬式をする(事)。(下の図で言ったら右から真ん中)
まず弔う心があって、それで葬式という事をする。
葬式をする(事)から弔ってる(心)んじゃないなぁ。(真ん中から右)
場所によってはお祭り騒ぎする葬式もあるみたいや。
それも、まず弔いの気持ち(心)があって、それで騒ぐ(事)んやろう。(右から真ん中)
楽しい(心)ときはよく騒ぐ(事)けど(右から真ん中)、騒ぐ(事)から楽しい(心)(真ん中から右)とは限らない。

心あっての事やなぁ。(しつこいけど、右から真ん中)
花火をやらない(事)自体には弔い(心)はないんやから、別に花火やめなくていいのになぁ。
(・_・ゞ-☆花火をしない事は必ずしも弔いの気持ちを表さないけど、弔いの気持ちを花火をしないことで示すというのもあるな。まぁ花火が見たかったら神戸でも淀川でもやってるかぁ。