今日はバイキングでいろんなものをたくさん食べた。ヽ(´ー`)ノ
バイキングやと、たくさん食べないとあかんと思って、食べすぎて腹の調子が悪くなって、
自分のいやしさに気づくのがいやや。(・_・ゞ-☆
今日はバイキングでいろんなものをたくさん食べた。ヽ(´ー`)ノ
バイキングやと、たくさん食べないとあかんと思って、食べすぎて腹の調子が悪くなって、
自分のいやしさに気づくのがいやや。(・_・ゞ-☆
つまらないけど気になる事は、心の中ではつまってて、それを言ったりして外に出すと、もうつまってないから、つまらない。つまらない話は、どうでもいい。
つまってたものが外に出るとスッキリするから、どうでもいい話は、とてもいい。
(・_・ゞ-☆ダジャレを思いついただけ

最近かぜ気味で、泳いだら治るやろうと思って泳ぎに行った。
小学校低学年向けの水泳教室が始まる時間になると、プールサイドでウロチョロしてた子どもたちが、前の子の肩に手を乗せて、汽車みたいに「シュッシュッ、ポッポッ」と言いながら、コーチに連れられて水泳教室をやる場所まで移動してた。
(そうしたら、ちゃんとみんながついてくるし、走って転んだりしない。たぶん他のスイミングスクールとかでもやってて、俺も小さい時にやってた。)
シュッシュッ、ポッポッ、って言ってるなぁ、と思ってたら、よく聞いたらそうじゃなかった。
コーチが「シュッシュッ」と言ったら子どもは「ポッポッ」と言って、コーチが「ポポポッ」と言ったら子どもは「シュシュシュッ」とか言ってた。(図みたいに)

ただ単に「シュッシュッ、ポッポッ」って言うだけよりも、頭を使って理屈を理解して、それに夢中になった方が、ウロチョロしにくくて、ちゃんとついてくるんかな。(・_・?)
つまらん話やけど、、、大人もそうやればたくさんついてくる。
頭を使って、原爆やミサイルを作って人をたくさん殺す方法とか、お金を増やして会社を大きくする(けどいろいろ迷惑をかける)方法とか、政治で国益を確保する(けど一部の人しか喜ばない)理屈とか、すばらしい宗教の教義とか、いろんな理屈を理解する。
理屈を理解すると、それだけに夢中になって、「シュッシュッ、ポッポッ」と変なところに連れて行かれた人がたくさんいそうな気がするなぁ。
俺もすでにどっかに連れて行かれてるかもしれへん。(・_・ゞ-☆知らんけど
夜に自転車でブラブラしてたら、いつも暗いはずの小さい寺の前の道が明るくて、何かと思ったら、お祭の夜店のライトで、人がまぁまぁたくさんいた。
それで、ちょっと見ようと思って自転車を適当な所に置いて、歩いてブラブラした。
たまにそこを通るときは、いつも小さい寺やと思ってたのに、今日は出店も人もたくさんで、「この寺って実は結構なものかぁ」と思った。
人がたくさん来れば寺としていいってことなのかどうなのかは分からんけど。(・_・?)


高いところには物を置かないようにしよう。と思う。
1年に2、3回そう思うけど、いつも気づいたら本棚の上にいろんな物がのってる。
全然関係ないけど、糸井重里の話が面白かった。
いま見ている景色は、ぜんぶ、後で思い出すもの、と書いてた。
本棚の上にいろんな物がのってるなぁ、と思いながら、かたづけなかったことを、
地震がおこって本棚の上に乗せてたものが全部自分の上に落ちてきてから思い出しそうや。
今日は昼に「さんまのからくりTV」の再放送を見て、夜に再放送じゃない方を見て、俺の好きな「ご長寿早押しクイズ」をやってて面白かった。
そういえば前にラジオで聞いたけど、ナイナイの矢部の弟は看護士になるための勉強をしてるらしくて、実習で年寄りの世話をして、面白かったらしい。
「(ナイナイの)岡村のボケは作ってるボケやけど、年寄りのボケは本物で、面白い」
と言ってたようや。
老人のボケは、不便で「よくないもの」っていう部分もあるやろうけど、ボケのおかげで(社会のためというより)人間にとって大事なことが残るような気がして、ボケはフィルターかもしれないなぁ、と思う。そのフィルターのおかげで、「あほと天才は紙一重」の紙一重のところを行ったり来たりできる境地に達することができるんやろう。(・_・?)大げさやな

前に「視点論点」という番組で、人口減少について面白い話を聞いた。
人口が減ると(経済とかで)良くないことがあるのは確かやけど、ギュウギュウの通勤電車がすいたりとか、良い面もある。人口が減ることそのものよりも、「人口が減った社会は良くない社会でお先真っ暗だ」みたいに思う気持ちが問題だ。
と言ってて、なるほどなぁと思った。
「一番恐ろしいものは、人間の想像力」とよく言うけど、そうなんやろうなぁ。
高齢化社会の問題もそうかもしれないなぁ。高齢化社会にも(主に経済の)よくない面があるけど、いい面もある。
高齢者が増えることそのものよりも、「高齢者だらけの社会は良くない社会でお先真っ暗だ」と思う気持ちとか、高齢者を邪魔者扱いする気持ちが問題やろう。
高齢者だらけの社会のいい面は何かと考えたら、、、
ご長寿早押しクイズの面白さのレベルが上がることかもしれないな。(・_・ゞ-☆
↓前置きにしようと思ったり、まぁ書かなくてもいいかぁと思ったけど、一応書いとこうと思った
手塚治虫の漫画の最後(の方)のページに必ず書いてることがある。
「作品中には、人種差別をしてると思われそうな絵があるけど、手塚治虫には差別をするつもりなんて全くないどころか、差別は大嫌いで、普通に人と接して分かるような部分よりも、もっと深く掘り下げて人間を描こうとしてる、ということを理解してほしい。」
みたいなことが書いてある。

手塚治虫のマンガには、黒人の絵をおかしく描いてる部分があるけど、その絵だけを見て差別というのは、手塚治虫のマンガの浅い部分しか見てないということやろう。それは、人間の表面しか見ないという意味で、差別に似てるかもしれない。
俺が老人をボケと言ってても、「老人はボケだからみんな否定する」と老人差別してるんじゃなくて、「老人のボケてるところは面白い」というふうに、多くの老人はボケる、ということを受け止めつつ、そのボケの良さもあると言ってるから、たぶん差別の反対やろうと思う。
でも、ボケと書かずに「ものわすれがひどい人が多い」と書けばよさそうな気もするなぁ、
とか思ったけど、ここに俺が老人のことをボケと書いたなんてことは、手塚治虫が黒人の絵をおかしく描いたのと違って、何の影響力もないから、どうでもいいっちゃあどうでもいいなぁ。
自己中で、しかも周りが迷惑じゃない、さらに周りが嬉しい、みたいなことは、全然無理がなくて、ものすごく自然でいいなぁ、とこのごろよく思う。
蜂は好きな花の蜜を吸うことを考えて、花は花粉を遠くに運ぶことを考えてる。
どっちも自分のしたいことをしてるだけやのに、どっちも嬉しい。
自然は、全然無理がなくて、ものすごく自然やなぁ。
人間を含めて動物は、オスとメスが合体したときに、自分が気持ちいいように動けば、相手も気持ちいいようになってるから、自然はすごい。
イランが核兵器を作れるような準備をしたら、「それはあかんのちゃうか」ということになるような、そうでないような、よく分からんところや。これ
ところで、法律は「なんとなくの多数決」で作ってるらしい。
例えば、道路の制限速度が60km/hやとしたら、60という数字が正しいかどうかなんて分からなくて、「60km/hやと、だいたいみんな納得するんちゃうか?」という事で制限速度を設定してる。
死刑はいいかどうか?というのも、正しい答えなんてない。多くの人が「死刑はいくらなんでもひどい」と言えば、死刑はダメな法律になるし、多くの人が「極悪人は殺してもいいやろう」と言えば、死刑もありの法律になる。
国同士が争う時は、「いくらなんでも原爆はあかんやろう」と、だいたいなってる。
同じ国の違う民族が争う時は、「いくらなんでも戦争になったらあかんやろう」と、だいたいなってる。
家庭の中で争う時は、「いくらなんでも暴力はふるったらあかんやろう」と、だいたいなってる。

そういうのは、「なんとなくの多数決」で、国同士が小さい暴力で争うだけでも「それはいくらなんでもあかんやろう」と多くの人が思えば、「国同士の暴力はダメなもの」ってなるんやろうなぁ、と思う。
震災語り部世界連携網というのを作ろうとしてるらしい。これ
これと同じように、戦争語り部世界連携網というのを作って、「いくらなんでも国同士が暴力ふるうのはあかんやろう」となれば、結構簡単に戦争はなくなるんちゃうかと思ってるけど、そう思うのは平和ボケやからかな。(・_・?)ちょっと平和ボケという言葉の使い方が違うかな