「国を愛する態度」と、「国を愛する心」の違いは何やろう?
態度は「行動の様子」で、心は「気持ち」やろう。当たり前やけど。
構造改革は、競争で日本人を疲れさせ、外国に儲けを取られて日本人の儲けが減ってしまう、国を愛してない行動やろう。(・_・ゞ-☆そうかな
だから自民党としては、「国を愛する態度は示してないけど、国を愛する気持ちはありますよ」という事で、「国を愛する心」にしたいんやろう。(・_・)?

なぜ「愛する心」がいいか?の話は置いといて、
「愛するかどうかなんて自分で決める事であって、教えることじゃない」という話もあって、
まぁそうやろうと思う。
それに似たことで、「分かったような事言わないで問題」もありそうや。
日本の歴史や文化を知るうちに、日本を好きになった人が、
「日本は結構いいな」と自分で思うのはいいけど、
他人に「日本を愛そう」とか言われたら嫌なこともありそうや。
それは、失恋してショックを受けてる人が、
「時間が解決するだろう」と自分で思うのはいいけど、
他人に「きっと時間が解決してくれる」とか言われたらなんか嫌やったり、
治らない病気を持ってる人が、
「病気とともに生きよう」と自分で思うのはいいけど、
他人に「病気とともに生きるのが大事」とか言われたらなんか嫌やったりするようなもんやろう。
俗にいう?「分かったような事言わないで問題」が、教育基本法改正の話でも起こりそうや。
今の所、議論になってないようやけど。(・_・ゞ-☆
俺は、人に面白そうな話を聞いたとき、
「そら面白そうやなぁ」 (自分は面白いと思った) と言うのはいいんやけど、
「そら面白いやろうなぁ」 (あなたは面白いと思ったに違いない) と言うと、後で後悔する。
後悔して謝りたくなるほどやけど、そんな些細なことで謝るのも変やから謝らない。するとまた後悔する。
けど、「面白いやろうなぁ」と人に言われるのは別にかまわない。(・_・ゞ-☆それだけ




